大切な人との死別 でもまた会える!

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私が学生の頃の体験談です。

生まれつき耳が殆ど聞こえず、心臓に爆弾を抱えているような病気を持つ友人が、同じゼミにいました。筆談をしないと会話できない状態だったので、ちょっと内向的で恋の悩み等の相談にのったりしていました。

ある時、心臓の限界がきて、日本でも当時10件くらいしか手術例がないような難しい手術だったんですが、その手術を受け、数日後に亡くなりました。早朝だったので、お母さんも死に目に会えず、ひとりで彼は逝ってしまいました。25歳でした。

しばらく私は何とも言えず悲しくて、「可哀想に・・」と思っていました。

そんなある日、真昼間だったんですが、彼がキラキラした姿で現れて、「もう心配しなくていいんだ。僕は元気になったんだ。耳も聞こえる。健康なんだ。」と言って消えていきました。私は彼は天国に帰っていったんだ、とさとりました。

友人や家族との死別は本当に辛いものです。悲しみが癒えるまで、やっぱり時間がかかると思います。

でも人間は、「生まれる」ということと「死ぬ」ということは、セットなので、いつか必ず「別れる時」が来ます。皆さんの中にも「大切は人との死別」を経験された方も多いでしょう。でもどうか今からお伝えすることを覚えておいてください。

遅かれ早かれ、自分もいつかは死にます。その時、また会えます。人間は死んでも消えてなくなりません。肉体は焼かれてなくなりますが、「心」は残ります。この「心」が「魂」であり、「霊」なんです。

今の日本人の多くは死後の世界があることを信じていません。死ねば、焼かれてなくなってしまうと思っています。多くの人は、焼き場で焼かれて消えたはずの自分が、霊(心)として残っているので、混乱してしまいます。生前、死後の世界のことなど、何も教わってないので、どうしていいか分からず迷っています。

ある人は「生きている」と勘違いして、いつものように家で家事をしていたり、男性なら仕事に行ったりします。

「死ぬ」ということは、この世での修行を終えたということであり、お坊さんや天使のような姿をした導きの霊人が現れたら、ついていかなければならないことになっています。

そして次の展開があります。昔から言われている「三途の川」を渡り、自分の人生の精算をします。生前、善い行い、思いが多かった人は天国へ行き、悪い行い、思いが多かった人は地獄へ行って、自分の生前の間違いを反省をします。その後、心から反省できたら、また天国へと上がっていきます。

天国では、皆それぞれ仕事をしています。生前、先生をしていた人は、天国でも先生をし、農業をやっていた人は、野菜を作ったりしています。生前の仕事と同じようなことをしているんですね。

この世のように食べていくための仕事ではなく、魂(心)のスキルアップのために仕事をしています。神様の光によってみんな生きているんです。

そして、また何十年後か、何百年後か、人によって違いますが、次の人生のシナリオを描いて、地上に生まれてきます。このようになっています

なので、大切な人との「死別」はあっても、また天国で会えます。ただ、一つ条件があります。自分も会いたい人も地獄に落ちていないことが条件です。

だから、残された人は、地獄に落ちないような生き方をしなければなりません。地獄に落ちるのは、法律的な罪を犯した人だけではありません。人間関係で争いが多かった人や人をだましたり、嫉妬心や憎しみの心が強かった人もアウトです

自分の「心」がガラス張りで、誰から見られても恥ずかしくないような心で、毎日過ごせたら、間違いなく天国へ行けます。

でも、人間は聖人ではないので、誰でも、悪いことを思ったり、嫉妬したり、不安や心配のようなネガティブな思いを持ってしまいます。ああ自分は悪いことを思ってしまったなと気づいたら、「いけない、いけない」と思って修正すれば、マイナスの思いも消せます。

大切な方を亡くされて、また会いたいと思っている方は、どうか天国に行けるような心で日々、生活してくださいね。そうすれば、喜んでまた再会できますよ。(*^^*)